卒業生の活躍
真崎空さん(1期生)

鹿児島大学医学部医学科卒業

現在の職業:昭南病院勤務(糖尿病専門医)

私は今、内科医として勤務しており、鹿児島を主として他に山形と北海道で働いています。勤務地に共通しているのは、どれも医療過疎、医師不足の地ということ。鹿児島では人口約28万人が住む大隅半島で病院常勤の糖尿病専門医は私だけで、主に糖尿病など生活習慣病の診療にあたっています。必要とされる場所で仕事をしようと思っていたら、ご縁もあってなぜか全国を飛び回る形になっていました。早朝や夜間の移動が多く、40歳を過ぎた体には堪えることもありますが、元々乗り物は好きでしたし、それぞれの地で必要としてくれている(気がしているだけかもしれませんが)患者さんの存在が何よりの励みになっています。医師と一言で言っても、役割や働き方は様々です。手術をして劇的に患者さんの命を救うといったことはありませんが、患者さんと対話を重ね、気付きを与え、逆に気付きをいただく、そして健康に人生を全うする手助けができることを目標にしています。

公文国際学園は、幼少期から公文式を学習していたこともあって、ちょうど1期生として入学する年に学園が開校すると聞き、これから真っ白なキャンバスを自分たちで多彩な色に染めていくような気持ちと期待を胸に受験しました。私は中等部では吹奏楽部に、高等部では数学部に身を置き、生徒会長を務めさせていただいたこともありました。寮生活の中で、友だち、後輩、時には先生方と議論を尽くし、互いの立場を尊重することを覚えました。学生ゆえに幾ばくかの制約はありながらも、基本的に学園の生活は「自由」でした。ともすれば自由を身勝手と履き違えてしまいそうな思春期に、自由とは責任そのものであることを年月をかけて学びました。学園生活の中で表現祭(文化祭)、体育祭、修学旅行など数々のイベントも良い思い出ではありますが、こういった行事を運営するためには個人の役割が大きく、誰かがしてくれるのではなく、自分たちで何もかもしないといけなかった環境にあったことで、必要とされることの重要性と喜びを知ることになり、こういった様々な経験が今の私の礎になっているように思います。

東善之さん(2期生)

日本大学工学部航空宇宙工学科卒業、電気通信大学大学院 電気通信学研究科 知能機械工学専攻 博士課程 修了

現在の職業:京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科 機械システム工学部門助教

公文国際学園を卒業後、大学で航空工学を、大学院で制御工学を学び、現在は京都工芸繊維大学のロボティクス研究室にて研究や学生の教育に携わっています。専門分野はロボティクス・メカトロニクス分野で、ドローンをはじめとする飛行ロボットや、片麻痺患者さんの歩行リハビリテーションを補助するための歩行学習支援ロボットなどについて研究しています。特に、橋梁などのインフラ構造物の点検が大きな社会問題となっているため、構造物の点検したい箇所にくっつき、プロペラを止めた状態でじっくり点検できるドローンの開発に力を入れています。世の中にない新たなロボットについて初めの理論構築から、メカ設計、機体製作、プログラミング、実験、評価という最終工程まで、ものづくりの様々なフェーズに携わることができ、自分が研究している技術を応用することにより課題の解決に結びつくところが大きな魅力です。

公文国際学園在校当時を振り返ると表現祭、体育祭などの校内イベントが多く、そのたびに興味を引くものに出会える機会があったように思います。先生方が提案された様々なテーマから興味あるものを1つ選び、何日間か継続して参加するインタレストスタディーズでは、一眼レフのフィルムカメラで好きなものを撮影した後、現像し、その写真に俳句をつけ鑑賞するというテーマがありました。それまできちんとした写真の撮り方など考えたこともありませんでしたが、そこでカメラの使い方や絞りの意味などを学び、撮影した後に、トイレを改造した暗室で初めて自分の手でフィルムを現像し,写真を焼き付けた時のことをよく覚えています。また、吹奏楽部と陸上競技部に所属していたため部活動に明け暮れる日々でしたが、そのお陰で多くの友人、先輩、後輩たちと語らう機会に恵まれ、思いや意見を交わしたことは忘れがたい良い思い出です。中高の学園生活を通じて様々なことに挑戦する機会とたくさんの個性的な仲間たちに恵まれたことは、当時の校長先生がよくおっしゃっていた「よく学び、よく遊べ」の言葉とともに、常にアンテナを張り、最先端の技術を追い求める現在の研究活動においても心の支えとなり、私の学生への指導方針の礎にもなっています。

中土井隼人さん(3期生)

東京工業大学大学院理工学研究科機械制御システム専攻卒業

現在の職業:大手航空会社にてB787型機運航乗務員(パイロット)として勤務

2013年から副操縦士として、日々、世界の空を飛んでいます。学園に入ろうと決めたのは、小学4年生の時。公文式の教室で先生から薦められ、自律して考える校風と寮生活にとても強く惹かれました。当時はまだ開校前でしたので、誰もまだ見ぬ学園生活という冒険に出かけるような気持ちで、入試勉強をしたことは今でも記憶に残っています。パイロットの仕事は幼少期からの憧れではありましたが、どうやったらなれるのか、なにが必要なのかも知らず、できるかどうかも分からない未来の冒険、というイメージでした。

冒険と似たチャレンジ精神や、それをワクワク楽しく進めていける遊び心を持つことは、入試前から卒業に至るまでの学園の校風といっても過言ではありません。加えてこの学園には、制服も校則もありません。なんて自由な校風!と思われがちですが、「楽しい」や「自由」を実現するのは実はとても大変なことです。眠たい朝にその日着ていく服を選ぶのが面倒、と思うことがあるように、ルールがない分、自分達で都度考えて決めるというチャレンジが時々刻々発生するためです。私の頃は、寮の4人部屋でエアコンのスイッチを何にセットして寝るかを毎晩決めていました。

とても簡単な話のようですが、部屋に1つのエアコンは、4段階にしか調整できなかったため、ひとつに決めるのは思いのほか苦労しました。ジャンケン、話し合い、時間差、予想気温など、決め方は各部屋十人十色でしたが、大事なのは全てを自分達で決めるというところ。

ときにはもめ事もあったものの、最後にはお互い遊び心を持って楽しく問題を解決する、という高度な対人能力は、現在の私のパイロットとしての人生にも大きく役立っています。

今でも私は、当時から一番好きな学園行事である表現祭に毎年赴いて、在校生の創造性やエネルギーから元気をもらっています。どの企画も、いろいろなことを自分達で考えて練って、そしてその準備を一生懸命かつ楽しんだ、ということが伝わってくる公文生らしさにも感銘を受けます。加えて、学生に負けじと楽しそうな先生方の姿も、この学園の愛すべきところですね!厳しい受験勉強も、親元を離れた寮生活も、大きな冒険だとは思いますが、その先に絶対に楽しい将来が待っています!公文国際学園OBとして応援しています!

津高政志さん(4期生)

上智大学法学部国際関係法学科卒業、オランダ・ハーグにあるInternational Institute of Social Studiesにて開発学修士号取得。その後NGOと国際機関でイスラエル・パレスチナ紛争、東日本大震災、フィリピン超大型台風、アフガニスタン紛争、南スーダン紛争にて人道支援活動に従事。直近ではInternational Committee of the Red Cross(ICRC: 本部・ジュネーブ)のミャンマー・ラショー副代表部副所長として7つの民族紛争が起こっているシャン州の人道支援を指揮統括した。

現在の職業:地球環境戦略研究機関

僕が公文国際学園にいた頃は高校で国際コースと一般コースに分かれていて、語学に興味のあった僕は何の迷いもなく国際コースを選びました。中学の時から公文式で触れていたドイツ語を高校ではより集中的に学び、高2の時にドイツ政府の招へい事業に合格し1か月間のドイツ留学。それがその後の人生を決定的に変えました。各国から招へいされたカメルーンやタジキスタンといった、当時聞いたこともなかった国の高校生たちと交流を深め、世界には貧富の差があり、戦争の続く地域もあり、言語や文化の多様性があふれているという当然のことを初めて自分に関係あることとして実感しました。国際協力を仕事にしたいと思うようになったのもこの頃です。

あれから20年経った今、世界中の紛争地や被災地を目の当たりにしてきて、これだけは言える、ということがあります。まずは、国際政治、人口増加、気候変動やそれに付随する自然災害・紛争などにより、世界はこれまでよりも増して不確実な時代に入っているということです。そしてその中で生き、人の役に立つためには適応力や自分の頭で考えて最適解を導き出し、失敗してもそこから改善点を出して次の試練に備えることが当たり前にできなければいけません。そういった能力を身に着けたうえで、実際いちばん必要なのはハートです。困っている人がいたら助けてあげる、見返りは求めない、どんな境遇の違いがあっても目を見ながら対話し心を通わせることができれば、世界中のどんな場所でも通用します。そういった人間力を身に着けていけば、将来心配することは何もないと思います。6年という学園生活、思いっきり楽しみながら学べばそれが可能だということを、僕の経験が証明しています。

山村直樹さん (5期生)

カールスルーエ工科大学工学部機械工学科卒業。ノッティンガム大学大学院工学部生産工学科修士課程修了。新卒でインド系IT企業に入社し、ビジネスアナリストとしてインド及び日本で勤務。その後、米系IT企業のシンガポール法人に転職し、現職。スタンフォード大学大学院工学部計算機科学科修士課程にもパートタイムで在籍(2021年春に卒業予定)。

現在の職業:米系IT企業米国本社にてソフトウェアエンジニアとして勤務

米系IT企業に入社後最初の6年間はシンガポール及び米国にて人事部に所属し、拡大する組織の土台を支える仕事に非常にやりがいを感じていました。しかし、徐々に多くの人に使ってもらえる製品開発に興味を持ち、全く経験のなかったプログラミングを独学で学びました。現在は無事製品開発部門に移動し、ソフトウェアエンジニアとして働いています。また、大学院修士課程にも在籍し、仕事をする傍ら、体系的な知識の習得と最先端の研究への理解を深めるべく勉学にも励んでいます。

海外での就職や、全く異なる職種への変更等、少し珍しいキャリアパスを歩んでいますが、これらを実現できたのはひとえに公文国際学園での経験によるものだと常々感じています。在校時は6年間サッカー部に所属し、勉強は程々に部活にばかり励んでいました。高校3年生の11月まで海外の大学への進学は全く考えていませんでしたが、学校の紹介により、ドイツの大学に現地企業からの奨学金付きで進学しました。公文が国際教育や英語教育に力を入れていたおかげで、短い準備期間でこのような進路を選択する事ができました。大学進学後は奨学金を頂いていた企業にてドイツ本社での研究開発や米国支社の製造・生産管理部門におけるインターンシップ等多くの機会に恵まれ、進路を多面的に考える事ができました。また、今でも多くの公文生と連絡を取っています。同級生は医師・ベンチャーキャピタリストからNGOでの人道支援等様々な業界・地域で働いており、自分の馴染みのある業界以外の多様な価値観を持つ友人との交流により、異なる視点に触れられています。公文の自由かつ自主性を重んじる校風の中で6年間過ごし、友人との繋がりに恵まれたおかげで卒業後も自分の好奇心の赴くままに暮らせています。

林良太さん(6期生)

東京大学経済学部卒業

現在の職業:Finatextホールディングス代表取締役 CEO

私は東京大学経済学部を卒業した後に、ロンドンの投資銀行に就職し、その後自分で会社を設立してFinatextホールディングスというベンチャー企業を今は経営しています。2020年7月時点で200人くらいの会社で、日々成長するべく頑張っています。

社会人になって初めて、自分の公文での中高時代がいかに恵まれているかを実感しています。制服がないということを象徴に、授業だけじゃないフィールドワークがあったり、模擬国連に参加できたり、スイスへの留学の機会もありました。今思えば中高ながら様々な機会に恵まれた場所だったなぁと思います。大学や仕事では好奇心が大事な要素になってきますが、改めて好奇心が養われた6年だなと感じています。

それと私は中1からテニス部に6年間所属していて、本当に大学を受ける直前の直前まで試合に出ていたりもしました。最後の試合で負けた時は部員達で涙を流して悔しがった記憶もあります。練習はキツかったことが多かったのですが、今思えば忍耐力だったり、やり抜く力が培われたのかなと思います。人生どんな選択をしても、困難には必ずぶち当たります(むしろ、ぶち当たらなかったらチャレンジしていないとも言えます)。興味を広げつつも、やるときめたことを諦めずにやりきるという環境であったなと思います。

最後に改めてなんですが、素晴らしい先生方に恵まれていたのかなと思いました。中高生だった自分に対して、しっかり向き合ってくれて、厳しさと自由のバランスがすごくよかったと振り返って思います。受験の時も、遅くまで付き合っていただいたりしました。また外国人の先生も多数在籍していて、自然と英語が飛び交うような環境だったことも今思えば、なかなかない経験をしたのかなとも思っています。

私はもう一度、中高を選べと言われても迷わず公文国際学園を選択すると思います。それくらい充実した学生生活でした。

小島彩美さん(7期生)

慶應義塾大学商学部商学科卒業。企業倫理専攻。

現在の職業:内閣府宇宙開発戦略推進事務局勤務(2020年~)
宇宙航空研究開発機構(JAXA)より出向(入社2009年)、国際連合宇宙部, United Nations Office for Outer Space Affairs (2017年~2020年)

「世界中の人と友達になりたい」これが、物心ついた時から、大人になった今でも変わらない私の夢です。地球を超えた規模で世界中の人と仕事が出来る魅力と、いつかは宇宙人と交信もしてみたい、という理由からJAXAへ就職しました。

JAXAに入ってからは、広報、財務、宇宙教育などの部署を経験し、特に宇宙教育センターは「まさにこれが私の人生の目標だ!」と思えるやりがいを見つけ、宇宙を活用し子どもたちの興味関心を引き出すといったことをしていました。それは、各地の学校の先生方と協力し、理科に限らず、家庭科や体育など多岐にわたる連携授業でした。また、2017年1月よりUnited Nations Office for Outer Space Affairs (国際連合宇宙部)へ派遣され、宇宙先進国と言われる日本やヨーロッパの国々と協力し、発展途上国も一緒に宇宙開発をして行くことが出来る「初めの一歩」へのお手伝いをしていました。例えばケニアが初めて開発した超小型衛星を日本と協力し、国際宇宙ステーションにおける日本のモジュール「きぼう」から放出をしたり、ドイツと協力をし、世界一高い落下実験棟での実験機会を各国の学生へ提供したり。宇宙を通じ各国の架け橋となる仕事でした。その後、国連全体の取り組みの一つ「若者の声を世界の舞台へ届ける」Youth Engagementという活動の宇宙部代表として、若者が世界のリーダー達と議論できる場を提供する活動を行っていました。世界中の若者を対象に「宇宙がSustainable Development Goals(持続可能な開発目標)へどう貢献できるか」についてエッセイを書いてもらうコンテストを実施、上位3名をInternational Astronautical Congress(国際宇宙会議)へ引率し、各国宇宙機関のリーダーや宇宙飛行士達とディスカッションしてもらい、どちらにとっても新しい学びと気付きを得られる場を作る、と言った試みをしていました。そして現在は、内閣府で仕事をしています。日本における今後の宇宙政策を決めていくところです。私は国連での経験を活かし、国際担当として各国と今後の宇宙開発を日本がどのように協力していくか、と言った国家間の政策決定、諸プロジェクトに携わっています。

生徒の個性を大切に育てる、校則も制服もない公文国際学園。ここが、今ある小島彩美を形作ってくれました。国連出向中ウィーンまで遊びに来てくれたり、帰国後も頻繁に連絡を取り合ったり。人生で大事な決断をする時の相談相手も公文時代の友人や先生です。多様な価値観を自然と認め合う風土、上下関係に臆せず、先生や校長先生にも意見をズバズバいえる校風。知らぬうちに国際社会を生き抜く中で大切な力を養えました。感謝の気持ちでいっぱいです。特に、オランダ・ハーグでの模擬国連は私の人生を変えました。この経験で「絶対に国連に行く」と思い、その夢の一歩を叶えることが出来ました。

大島日向さん(12期生)

京都大学法学部卒業

現在の職業:弁護士

ビジネスに関する法律を専門とする弁護士として働いています。経営者の右腕・参謀として、ビジネスの世界での争いごとや交渉をサポートする仕事です。正しいことの正しさを分かりやすく相手に伝える能力や、正解のない問題について自分の意見が正解であると相手を説得する能力が求められる難しい世界ですが、自分の脳みそと経験だけで戦っていくシンプルな奥深さと、目の前の依頼者の「ありがとう」につながるやり甲斐が気に入っています。

公文では、中学、高校と6年間サッカー部に所属し、文字通りサッカーに明け暮れました。思うように上達しなかったり、練習が辛かったりと、大変なことも沢山ありましたが、大事な試合に勝った時やシュートを決めた瞬間は今でも忘れないほど嬉しく、6年間の部活動を通じて努力を継続することの大切さと難しさを学びました。部活動を通じて得られたチームメイトは今でも頻繁に会うほど仲が良いですし、真夏の夏合宿を6回も経験したのだから、だいたいのことは、あと一歩の踏ん張りで乗り越えられると思っています。大学受験、司法試験、そして今の仕事に至るまで、これまで私を支えてくれてきた「あと一歩の踏ん張り」は間違いなく部活動で培われたものです。サッカー部での6年間で得たものは今でも私の宝物です。

また、高校1年生の時にシンガポールで開催された模擬国連に参加したことも代え難い経験でした。当時、僕はお世辞にも英語が得意と言える成績ではありませんでしたが、大勢の外国人の前で、緊張で震えながら、カタコトの英語で発言をしたことを今でも鮮明に覚えています。今、私は毎日のように英語を使って仕事をしていますが、模擬国連での経験を経て、いつか絶対英語を使って仕事をしたいという強く思ったからこそ今があるように思います。国際的なイベントが多いのは公文での学園生活の特徴だと思います。

振り返ると、公文での6年間で得られたものは、多くの挑戦する機会でした。部活動、表現祭、体育祭、学内外で行われる多種多様な行事と、公文で過ごす6年間の中で、きっと誰もが何かを「やってみたい」と思う瞬間があると思います。そして、きっと、多くの「やってみたい」には、公文では実際に「やってみる」チャンスがあります。私は、公文を卒業後、法律を学びたくて法学部に入り、法律を使った仕事をしたくて今の仕事に就きましたが、公文を卒業して以来、ずっと自分の「やってみたい」に真っ直ぐ向き合ってくることができたように思います。周りを見てもやりたい仕事について頑張っている卒業生が本当に多く、自分の興味関心に真っ直ぐと向き合い、努力する姿勢は、公文での学園生活で得られたものだったと思います。

冨羽花さん(12期生)

慶應義塾大学法学部法律学科卒業

現在の職業:大手法律事務所にて翻訳者として勤務

新卒以来、企業法務を専門とする法律事務所にて翻訳者として勤務しています。日常的に発生するのは、国際取引やM&Aに際しての契約書の翻訳や、外国に親会社のある企業が日本で訴訟に臨む場合の訴訟資料の翻訳です。また法務省のデータベースに掲載される日本の法令の英語訳なども担当するほか、外国の企業や投資ファンドが日本の投資家に向けて業績を定期的に開示する際に、彼らに代わって日本の法律に従った開示書類を英語と日本語の両方で作成する役割なども担っています。

公文国際学園では、体育祭実行委員や代議員を務め、高2で生徒会長に就任しました。当時は夏休みに各委員会の委員長や生徒会執行部が学園に集い、学園生活をより良くする方法を泊りがけで議論する「リーダー研修会」というものが行われていました。校内行事のほとんどを生徒自身が運営する公文では、行事運営のための分厚いマニュアル作りから、ときには外部業者とのやりとりまで、生徒が責任感と当事者意識を持って取り組んでいたように思います。その中で浮き彫りになった問題点と今後の活動方針を検討するリーダー研修会では、白熱した議論が深夜にまで及ぶこともありました。一方で、議論の合間にはアイスを片手によもやま話に花を咲かせたり、皆で近くの銭湯へ行ったりと楽しい時間を過ごしていました。今思い返すと、あの研修会は公文生としてのアイデンティティーを確立する場であったと同時に、まさに「青春の1ページ」であったように感じます。

学園生活の一部でありながら、別世界での出来事として記憶に留めているのは「模擬国連」です。世界中の高校生がハーグ(オランダ)に集い、国連さながらに世界の問題について議論するこのイベントに参加したことで、共に将来を担う海の向こうの同級生たちがどれほどの説得力と熱量を持っているかを肌で感じることができました。積極的なロビー活動であっという間に支持基盤を築く者、物静かでありながらずば抜けた語彙力を持つ者、絶妙なタイミングで手を挙げ周囲を圧倒する答弁を展開する者など、強烈な個性がぶつかり合う中で、自分に足りないものは何かを深く考えさせられたのをよく覚えています。

機械翻訳が急速に進化を遂げている今、人間である翻訳者に求められるのは読み手の立場や考え方、文化的背景に寄り添った文章を書くことだと思います。読み手を想像したときに思い浮かぶのは、学園生活から地球規模の問題までを熱心に議論しあった公文の同志たちと世界の高校生たちです。大人となってそれぞれの立場で奮闘する彼らの架け橋に、翻訳を通じてなれればと思います。そして翻訳に限らず「日本と世界をつなぐ」ために自分には何ができるかを常に考え続けています。学園生活を通じて培った問題解決能力やマネジメント力は、間違いなく、今後も走り続けるためのエンジンとなってくれると思います。

伊東遥さん(12期生)

群馬大学医学部医学科卒業 市中病院にて2年間初期研修を行う。

現在の職業:大学病院臨床検査科に勤務

群馬大学卒業後、神奈川県内の市中病院にて初期研修を2年間行い、現在は大学病院の臨床検査科にて働いています。

内科や外科、耳鼻科や皮膚科などは皆さん聞いたことがあると思いますが、臨床検査科というのは耳にしたことがない方が多いのではないかと思います。実際に専門医として働いている人数も多くなく、医師の中でもまだあまり知られていない科でもあります。臨床検査医は検査室を管理し、検査に関わる診断業務をする医師です。病院を受診した際に血液検査や尿検査、超音波検査など様々な検査を受けたことがある方もいるのではないかと思います。検査結果が正しいのは当たり前と思われているかもしれませんが、正しい検査結果を出すことができるのは、検査部の医師・技師が協力し検査を行っているからです。手術をして患者さんの命を救ったり、実際に病棟で患者さんを受け持って治療を行ったりということはありませんが、検査の面から患者さんに関わることができる、やりがいのある仕事だと考えています。

公文国際学園での6年間を振り返ると、私にとっては表現祭、そして公文式学習が大きく心に残っています。中等部の頃から表現祭実行委員会に所属し、高校2年生の時には表現祭実行委員長に就任しました。私が表現祭実行委員長になった年は、グリーンゾーンと講堂ができて迎える初めての表現祭の年でした。今までの経験もマニュアルも何もない中、1から何かを作り出すというのは初めての経験で、本当に大変でしたが加えてとても楽しくもありました。私一人では決してできなかったと思いますが、多くの仲間達と協力し合いながら新しい表現祭を作り上げたことは、もう10年以上も前のことですが、忘れることができません。先生方ともたくさんぶつかり合い、ご迷惑をおかけしたこともたくさんあったと思います。大人から与えられるのではなく、自分達で考えそして、実際に行動する機会を与えてくださった先生方には今でも頭があがりません。

また公文式学習についても、6年間の学園生活で私にとってとても意義のあるものでした。6年間で3教科の最終教材修了を目標としており、実際にやり遂げることもできました。それにより学力についてももちろんですが、自分で目標をたてて、それを達成することができ、自信に繋がりました。途中で挫折しそうになったことが何回もありましたが、公文式担当の先生に毎回助けられながら放課後教室に通ったのは、今になってはいい思い出です。

高校を卒業してからの大学生活、そして仕事、子育てなど…様々なことがありますが、何が正解で何が間違いかなんて誰もわからず、誰かが与えてくれるものでもないと思います。今、私は一児の母として、子育てをしながら働いています。正直な所、子育ても仕事も100点満点なんてことは全くなく、周りの方々の助けを借りながら、毎日何とか過ごしている状況です。しかし今こうして考え、実際に行動することができているのは、公文国際学園での経験のおかげではないかと思います。自ら学び、考え、判断し、行動する、そんな経験が中学生・高校生時代にできた事、今でも連絡をとりあうことができる友人や先生方と出会えた事は人生の宝物です。そんな素晴らしい機会を与えてくださった公文国際学園には感謝しかありません。

吉田沙織さん(13期生)

横浜市立大学医学部医学科卒業。藤沢市民病院にて初期臨床研修医修了(2017年4月~2019年3月)後、同病院で整形外科専攻医(2019年4月~2020年3月)として勤務。

現在の職業:横浜市立大学附属病院整形外科専攻医(2020年4月~)

時が経つのは早いもので、高等部を卒業してから9年が過ぎました。中高時代は、医学部受験に向けて各教科の先生方に熱心にご指導いただき、自分に合った勉強方法を試行錯誤しながら、体育祭や表現祭、模擬国連などの学校行事にも積極的に参加して、各分野で活躍する個性豊かな友人たちと充実した毎日を過ごしたことを、今でも鮮明に覚えております。

私は現在、数少ない女性整形外科医として、患者さんの生活に寄り添った診療を心がけて日々研鑽を積んでおります。整形外科は、老若男女の幅広い層を対象として、人々の生活の質に直結する体の機能回復に関わる診療科です。患者さんの立場を考える際に、公文で多様な人と交流した経験が役に立ち、多職種の専門家と共に楽しく働いております。

公文国際学園での生活に共通していることは生徒の主体性です。私は、中等部では日本文化体験のコースリーダーを、高等部では体育祭実行委員長を務めました。どの活動も、まずは課題を自分なりに調査して把握し、周囲との意見交換を通して理解を深めるところから始まりました。全体への発表の段階では他者に自分の意図を正しく伝えるための表現を考え、さらに多くの人と議論を重ねて、十分な計画を練ってから実践に移す、という流れがありました。毎回、皆で実践の成果を振り返ることで、一つひとつの経験をより深く仲間と共有することができたと思います。学生時代にこのような過程を繰り返し訓練できたことは、卒業後、物事に取り組む際の思考の軸となっております。

また、コミュニケーションツールとして英語を使用する機会に恵まれていたことも社会に出てから大変ありがたく感じております。昨年は職場で、スウェーデンから講師の先生をお招きして英語で講義を受けて質疑応答をしたり、東京オリンピックに向けて諸外国のトップアスリートの診察をしたりする機会がありました。現在勤めている大学病院では、日頃から手術症例に関する会議を英語で行っておりますが、そのことにもあまり抵抗がありません。中学校で初めて英語に触れ、海外での長期滞在経験のない私にとって、正直中高時代は拙い英語で意見を述べるのが恥ずかしくて、貴重な機会を生かしきれていませんでした。しかしながら、言語や内容を問わず、常に自分の考えを持ち、表現することが自然と身についた公文の教育と環境には、社会人になった今、より一層救われる思いがします。改めて当時お世話になった先生方へ、感謝の気持ちでいっぱいです。

今後は、女性アスリートの診療に携わる女性医師の道を確立し、自らの経験を世界に発信していけるような医師を目指して、自分のペースで一歩ずつ活動していきたいです。

最後に、受験生・在校生の皆さんへ。公文での経験はどのようなものでも必ず将来の糧になります。是非、自分を生かせる居場所を探してみてください。素敵な学園生活になることを願っています。

片石貴展さん(14期生)

明治大学商学部卒業

現在の職業:株式会社yutori 代表取締役

僕たちの会社は、SNSを起点にオンラインで服を販売するアパレルブランドを展開しています。現在「9090」をはじめ、9つのブランドを運営しており、SNSでの累計フォロワーは100万人を超えています(2021年時点)。また、2020年に株式会社ZOZOと資本業務提携を行い、更なる規模拡大に向けて動いています。

従来のアパレルブランドは店舗を中心としたオフラインのビジネスが主流であり、店舗数の拡大が売上の拡大に紐づいていました。しかし、私たちは店舗を1つも持っておらず、SNS上でお客様と直接つながる「D2C」という新たな事業を展開しています。自分自身がデジタルネイティブ世代(ゆとり世代)だからこその、既存の常識に捉われない、新しいビジネススタイルで展開していくことで、数年後には上場を目指しています。

在学時代、僕が特に印象に残っている言葉として「自主自律」というものがあります。

自由には責任を伴うということです。起業するということは、社会の大きなレールから外れるということでもあり、大きなリスクを伴います。もちろん会社が上手くいかなかったと言っても、誰かが助けてくれるなんてことはありません。自分自身で考え、社会に発信し、それがどのように返ってくるのか、そのすべてが自分次第です。

そのためにも、学生時代から自分の頭で考え、発信するトレーニングをする機会があったことはとても幸運であったと改めて思います。校則がなく、私服で学校に通っていたことや、自ら企画を行う表現祭など、学園での経験は僕の人格形成にも非常に大きな影響を与えています。多感な中高での6年間をこの学校で過ごせたことは、今の自分に繋がるとても貴重な経験でした。

金子進太郎さん(15期生)

早稲田大学基幹理工学部数学科卒業

現在の職業:劇団四季にて俳優として活躍中

現在、私は劇団四季に所属をし、俳優としてミュージカル「ライオンキング」「リトルマーメイド」に出演をしています。この道を志ざしたのは、高校生の時に同劇団の「美女と野獣」を観劇したことがきっかけでした。真摯に舞台に向き合いながら、プロとして仲間とひとつの作品をつくりあげている俳優の姿に感銘を受け、その道を目指しました。今は自身もその劇団の一員として、お客様に感動を届けること、そしてそのための日々の稽古が仕事となっています。

公文国際学園時代を振り返ると、所属していた演劇部での活動が一番印象に残っています。学年を問わず、沢山の仲間と放課後集まり、ひとつの作品を一緒に作り上げる楽しさを知りました。また、私は寮に入っていた時期があり、寮生のみんなと一つ屋根の下で家族のように過ごした日々はかけがえのない思い出になっています。

そのような学園生活の中で、学習面にも力を入れることができました。授業の時間だけではなく、疑問点があればすぐに質問ができるようなアットホームな温かい環境が整っている点も公文国際学園ならではの特徴だと思います。その結果、大学の進学を目指しながらも、自分の好きなことに集中することができました。

公文国際学園を卒業してからは、学園で学んだ「自由」と「自立」の精神が今の自分にとってとても大切な考え方となっています。生徒同士がお互いの個性を尊重する校風の中で、言葉の通り、自由に楽しく学園生活を過ごすことができました。ただ、その「自由」というのは何でもやっていいという意味ではなく、自身を律して「自立」することで初めて「自由」への道が開けるということを学びました。今は俳優として自分自身と向き合い続けることを大切にしていますが、その考え方は公文国際学園での生活があったからこそ、身についたものだと実感しています。